【意識から無意識へ】〜本当の学びは身体から始まる〜
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知らない → 知ってる → わかる → できる → できている
技術やテクニックを習得するプロセスは、この5つの段階に分けられる。
この考えを提唱したのは、発声学者のフースラーという人物だ。
彼は「腹式呼吸なぞ嘘っぱちだ」とも語り、片山の呼吸姿勢理論の核心に影響を与えている人物でもある。
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振り返ると、僕は物心ついた頃から「知らない」から「できている」までのプロセスを、完全に達成したという実感がない。
小さなことなら経験してきたかもしれないが、大きな何かを成し遂げたことはなかった。
勉強は中学に上がると同時に早々に興味を失った。
プロになると意気込んでいた野球も辞めた。
「食いっぱぐれないように」と選んだ柔道整復師の道では、ストレートで国家資格を取得した。
一見、目標を成し遂げたように思えるが、ただ大金と時間を使ってライセンスを取っただけ。
そこに感動や達成感はほとんどなかった。
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「知性の核心は知覚にある」
これは、安宅和人さんの言葉だ。
今になって思う。
僕が「できた!やった!」という強い達成感を得られなかったのは、知識が身体感覚を伴っていなかったからではないか、と。
人生観が変わるほどの衝撃は、知識だけでは決して得られない。
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そんな僕の人生に転機が訪れたのは、柔道整復師としてくすぶっていた頃。
ある先輩との出会いがきっかけだった。
彼が教えてくれた「姿勢改善」という概念。
この瞬間、「知らない」が「知ってる」に変わった。
それから、自分の身体の改造に本気で取り組んだ。
酒も糖分も摂りまくっていた生活を改め、走ることを始めた。
10kmすら走ったことがなかった僕が、1年で100km完走を目指すことにした。
走るたびに、少しずつ距離が伸び、体のダメージも減っていった。
そのとき、「良い姿勢」の重要性が体感として腑に落ちた。
“知ってる” が “わかる” に変わった瞬間だった。
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そして迎えた本番。
24時間かけて100kmを走る——
銀座から箱根温泉まで、まるで一人箱根駅伝。
50kmを超えた頃、膝もお尻も限界を迎えた。
「ここで辞めるわけにはいかない。」
先輩の姿勢と足の回転を必死に真似る。
みなとみらいの美しい夜景すら、もはやどうでもいい。
ただひたすら足を動かし続けた。
そして、70km地点。
突如として、痛みがすべて消えた——
「わかる」が「できる」に変わった瞬間だった。
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「できる」から「できている」へ
この最後のプロセスが、最も時間がかかる。
知識や技術を習慣に落とし込むには、気が遠くなるほどの反復が必要だ。
だからこそ、僕は「ウォーキング」にフォーカスすることにした。
長い距離を、いかに楽に歩くか。
1歩1歩の動きを、意識から無意識へ。
岡山に来てから、その「できている」状態を作り上げることができた。
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知らない → 知ってる → わかる → できる → できている
どんな物事の習得にも、このプロセスは当てはまる。
特に「姿勢改善」は、意識と無意識の狭間に存在するもの。
再現性や確実な正解がないからこそ、奥が深く、楽しい。
「知性の核心は知覚にあり」
AI時代に求められるのは、知識ではなく「知覚」、つまり身体性だ。
まずは、自分の体を知り、感じる。
そして、自分を、人生を変えていく。
